焼け野が原

自分の感性を大切に、人の感性も大切に

人間は他者からの承認なしで生きていけない

私の両親は基本的に無口な方で感情を表に出すことも少ない。ただ、人間は出来ているし、心の中では私のことを応援してくれて、大切に思ってくれていることは理解できる。でも、子供の頃はそんなことはわからなかった。というか今でもいまいちわかってない。

 

親戚だったりご近所付き合いもなかった私は、大人に褒められるという経験がほとんどないまま育ってきた。

 

そのため、私は知らず知らずのうちに人からの愛や賞賛に飢えた人間になったようだ。

 

そして、叱られた経験もほぼ無いために人からの評価に敏感になってしまったのだろう。失敗を恐れるが、賞賛は欲しいというような都合のいい人間だ。

 

結果として今もそうやって生きている。

 

 

どうやったら人に注目してもらえるか、褒めてもらえるか、起こられないで済むか。

 

 

どんな時でも欠乏感が抜けない。不安なときもある。

多分これは一生抜けないものなのかもしれない。

 

 

でも、社会的地位の獲得という目標は変わらない。

 

自分の仮説の中で、こうすれば人生楽しくなるかな?という考えがあるからだ。

 

 

仮説で出た案をしらみつぶしに実践していくしかないと思っている。

有名になって本でも出して、メディアに取り上げられるようにでもなれば少しは満足するかもしれない。きっと両親も喜んでくれるだろう。

 

22歳になっても両親を初め、人からの賞賛に飢えている。

みんなから承認して欲しい自分がいる。

 

社会や人に強いインパクトを与えたいという想いは強い。

それが何のためかというと、きっと人のためではなく自分自身のためなんだと思う。

 

 

汚いことをやっても周りが認めてくれないことなんてわかりきっているのでバカッターとか爪楊枝Youtuberなんかにはならないと思う。

 

なので私は社会の役にたつと思う。

そうしていけばいつかお金の豊かさと心の豊かさも手に入るのではないかなと考えている。

 

私は人に何か与えられる人間でありたいなと思う。

自分がもらえなかった承認も含めて人の幸せを作っていきたいと思う。

 

なので当面は人の働くをサポートしていく。

 

サザエさん症候群のせいなのか、暗いことを考えてしまった日曜夕方でした笑